北陸新幹線で行く,はじめての金沢

お庭,お菓子,お魚,お酒が揃う城下町をまわるため,金沢出身・東京在住者が往復しながらヒントを書いていきます。

明治五大監獄の一つ,金沢監獄:裏に住んでいた五木寛之氏が記した正門と監視塔は,いま

明治の建築が残るのに,金沢のブログに登場しないのが,金沢監獄。明治五大監獄の一つです。そのうち現存するのはわずかで,奈良がほぼ完全に残る以外,金沢監獄では正門と中央看守所など,一部だけが残ります。しかし,もとの場所ではありません。金沢観光最後の穴場,といいたいところですが,金沢にはないのです。

奈良監獄はホテルにリノベート

最近では,全体が残っている奈良監獄(前・奈良少年刑務所)が,なんとホテルにリノベートされるニュースで注目されました。

現在の金沢監獄正門

金沢監獄は,奈良監獄の1年前,明治40年(1907年)に建てられたもので,正門のほか,一部だけが残っています。

金沢監獄正門(明治村・愛知県犬山市)

ホテルになる奈良監獄を,少し角張らせたデザインで,当時の司法省(現・法務省)による1年違いの建築と納得できます。

設計はジャズピアニスト山下洋輔氏の祖父・山下啓次郎氏

調べてわかったことですが,五大監獄の設計はすべて,山下啓次郎氏で,ジャズピアニスト・山下洋輔氏の実の祖父です。110年の時を経て,今に残る祖父の建築を語る,インタビュー記事があります。各所での保存にも尽力され,五大監獄をすべて回ったというのも驚き。ここも訪れているのでしょう。

五大監獄のうち,写真の金沢刑務所があったのは,金沢市小立野こだつの。その裏手にあったアパートに,わざわざ東京から引っ越して,作家活動に専念し,直木賞を受賞した作家がいました。五木寛之氏です。受賞は,そこが自宅であったときです。

転勤でもないのに,いったん金沢に移ったのは,それまでも依頼原稿を書いていた,東京のマスメディアと距離をおいて,自身の執筆に専念するためと各所で記されています。理由はそれだけでなく,そのご令室が金沢人というよりも,のちの金沢市長のご令嬢だったことも寄与していそうです。

五木寛之氏の記憶のまま,ここに

この建物の印象は,五木氏が金沢から横浜に転居した十年あまり後に,私小説として記されています。

五木寛之,「小立野刑務所裏」,『金沢あかり坂』 文春文庫,所収(初出,小説現代,1978年2月号)

 私が住んでいたころ,金沢には,赤煉瓦の建物がいくつもあった。北国には赤い建築物が一番よく似合う。雨の多い,ひえびえとした季節など、赤煉瓦の建物を見るとほっとする感じがあった。

 裁判所,師団兵器庫跡,専売公社,四高跡,そのほかいくつも明治時代の洋式建築が残っていて,それがいかにも金沢らしい雰囲気をかもし出していた。

 金沢刑務所も,またその一つである。正門は典雅な造りで,いつ見ても飽きることがなかった。

金沢監獄正門の装飾(明治村・愛知県犬山市)

たしかに,刑務所の門には過分とも思える装飾が重ねられています。その私小説が,実在した刑務所そのものをタイトルとするほどの,存在感です。

銘板には,国の登録有形文化財で,金沢市小立野にあったことが記されています。ここにあるのは,金沢市の寄贈によるものです*1

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あわせて述懐された兵器庫は,金沢で博物館に

五木氏が同時に回想している師団兵器庫跡は,現在も金沢市出羽町に残り,石川県立歴史博物館として使われています。

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明治42年(1909年),大正2,3年と,連続して建設された3棟が並びます。金沢監獄の数年後で,同じ赤煉瓦を建材としています。こちらは重要文化財です。

この隣には,2020年までに東京国立近代美術館工芸館が移転してきます。その建物も,同時代の建築を隣接地から移して,リノベートするもの。展示される工芸作品だけでなく,建築の観賞でも楽しみです。

奇妙な木造の塔:中央看守所

金沢監獄で残っているのは,もう一棟。五木寛之氏は,その描写も残しています。

 私たちの住む部屋の窓からは,刑務所の塀の一部と,その塀のかなたにそびえる奇妙な木造の塔が眺められた。どうやらそれは,徒刑者を監視するための監視塔であるらしい。天気のいい夕方など,その角ばった塔のガラス窓が夕焼け色に光って見えた。

その「奇妙な木造の塔」です。

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八角形の木造建築に,装飾を兼ねた明かり取りの屋根が四方に張り出します。その上にある時計台のような部分は,中に看守が入れる監視塔です。

正式名称は,金沢監獄中央看守所で,監房のごく一部が,隣に残されています。正門と同じく,明治40年の建築で,登録有形文化財です。

金沢らしいのは,釉薬の艶のある黒い瓦。先ほどの師団兵器庫跡と同じです。ただし,左側の独房部分は,同じ黒でも艶のない瓦になっていて,葺き替えたのかも知れません。

人がいるように見える監視塔

正面へ回ると,重層的な三角屋根に,不自然な角度と高さで持ち上がる四面ガラスの監視塔。ふつうではない造形です。

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気になる頂部に時計でもあれば,振り返りたくなりますが,そこには看守の視線があったはずです。斜めに見上げると,人の動きを威圧する厳重な構え。

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五木氏の述懐のような,監視塔に日の当たる構図で撮るとこちら。

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あの塔の中の人が,こちらを向いていたら,怖い。そういう威容をもつ建物で,金沢を離れて十年以上経っても,文章に書けるほどの記憶に残ることが理解できます。

改めて,この私小説の結びの部分にある,五木氏の言葉を。

 考えてみると,あの刑務所の裏で過した短い年月は,ひょっとすると私の命取りにもなりかねないきわどい時間だったのかもしれない。私はあの高い煉瓦塀のおかげで,かろうじて金沢の町の不思議な力から守られていたのではなかろうか。

どうしてこういう述懐になるのか,経緯まで引用するのは無粋なことで,ぜひ作品を。

バスで金沢監獄正門下車すぐ

アクセスですが,目の前に,金沢監獄正門バス停。

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15分に1本ずつ,反対方向のバスがある路線で,金沢の周遊バスのように思えます。しかし,行先は帝国ホテルです。金沢もホテル不足で,とうとう帝国ホテルまで進出しましたか? 

ここは金沢ではないが…

ここがどこだかわかった方も,一部地域では多そうです。ところが,東京では,新幹線で金沢より早く着くのに,あまり知られていません。

東京駅には,その新幹線を運行するJRと系列旅行会社の巨大な窓口があります。金沢監獄が残るこの施設は,そのエリアで有数の観光地ですが,東京駅でJRがこの施設に行くツアーを推すことは,ほとんどありません。施設の経営が,そのJRが本社のある地域のライバル企業だからでしょう*2

金沢でも昔話の金沢監獄

金沢でも,金沢監獄があったことは,すでに昔話です。現在の金沢市なら,国の登録文化財となる建造物として,市外への寄贈ではなく,市内での保存を考えたかもしれません。

それなのに,話を引っ張っているのは,金沢監獄は,そこにたまたま移築された歴史的建築の一つではないからです。

保存の出会いは金沢の旧制高校に

金沢監獄が現在ある施設を設立した会社の社長と,全体を構想した金沢出身の建築家は,下の写真の学校の同級生でした。

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住所は,観光客を集める21世紀美術館と同じ金沢市広坂。21美とは徒歩5分の距離です。地元では,香林坊の大和デパートの裏と言った方が通る場所でしょう。出会いは金沢市香林坊,当時の仙石町でした。

この建物は,五木寛之氏が四高跡と記していた,第四高等学校の跡。一高が東京,二高が仙台,三高が京都で一部が岡山,と続いたナンバースクールの一つです。その一棟である明治24年(1891年)の建築が,重要文化財として残るもの。現在は,石川四高記念文化交流館として,当時の資料などが展示されています。

その建築文化を伝える施設を金沢の生家跡に建設中

2019年3月には,その方と,同じ建築家であるご子息の作品を中心に,建築文化を伝える施設が,金沢市寺町にできます。観光客の多い忍者寺から徒歩5分ほどですが,観光スポットを集約するために,土地を新たに手当てしたわけではなく,その生家だからです。

目玉は,その方の設計による東京・赤坂の迎賓館和風別館にある游心亭を,金沢で復元するもの。つづきは別記事で。

*1:寄贈者が金沢市であることについて,刑務所の管轄は法務省では,と思われるところでしょう。この門があった金沢刑務所が郊外に移転した跡地は,金沢市立金沢美術工芸大学の現在のキャンパスになっています。それで,国有地から市有地に転じるとき,この正門と後にあげる中央看守所なども,いったん市有財産となり,さらに金沢市からこの施設に寄贈されたものと思われます。

*2:その駅では,先にライバル企業の方が,デパートとホテルを建てて,ターミナル開発を完成させていました。しかし,デパートとホテルともに,それを上回る規模のものが,JRの駅上に建てられてしまいました。