北陸新幹線で行く,はじめての金沢

お庭,お菓子,お魚,お酒が揃う城下町をまわるため,金沢出身・東京在住者が往復しながらヒントを書いていきます。

金沢の文豪・室生犀星の別荘が改修され再公開:それは金沢に行く途中の軽井沢にある

金沢行を軽井沢で降りる:昭和30年も現在も

東京から金沢へ行く新幹線は,軽井沢を通ります。たまには,金沢行を軽井沢で降りてみましょう。

目的の一つは,室生犀星が毎年夏を過ごした軽井沢の別荘が改修を終え,この7月から再公開されたから。犀星自身は,自宅が東京・馬込にありながら,この別荘を「軽井沢の家」と呼ぶほどの存在でした。

室生犀星は,1889年金沢生まれの詩人・作家で,萩原朔太郎らと口語自由詩の確立に貢献。のちに小説でも頭角を現し,日本芸術院会員に。そして,芥川賞の第1回から16回までの選考委員でした。

軽井沢に止まる、はくたか号金沢行

このはくたか号に乗ると,東京932→1034軽井沢。大宮の次が軽井沢となる東京・軽井沢間の最速列車です。ただし,昼間のはくたか号は軽井沢を通過するため,その時間帯に行くなら,長野止まりのほぼ各駅停車・あさま号になります。

昭和30年も室生犀星はそうしていた

犀星の軽井沢行きは,毎年の日記に残されています。

昭和三十年六月三十日 木曜日 くもり

輕井澤に立つ。朝の九時十分金澤行列車。

(中略)

十二時十六分輕井澤着、誰にもしらさなかつたので迎へがなく、却つてのうのうしてくるまに乘れた。

室生犀星『室生犀星全集別巻2』所収,新潮社,1968年

当時は始発が上野の金沢行きで,軽井沢まで3時間。今は,わずか1時間です。

旧軽井沢商店街(旧軽銀座)から路地を徒歩2分

軽井沢駅を降りた新幹線改札正面の地図には,室生犀星記念館が載っています。

軽井沢駅のマップには室生犀星記念館が載っている

それは,軽井沢の中心・旧軽井沢商店街(旧軽銀座)から路地に入って2分のところ。1931年(昭和6年),代表作が文壇で評価されてから,42歳で建てたもので,今では購入困難な一等地です。

駅の北口からタクシーで行ってみると,10分もかからず1000円で到着します。ただし,地図で説明が要るところで,車が入れるのは手前の舗装路まででした。

そこからの路地には,犀星の径の道標。軽井沢町の道標はメタリックで,高原の道に映えます。

軽井沢・室生犀星記念館に続く「犀星の径」

こちらは,駅からタクシーで行きやすい側で,万平通りからオーディトリアム通りへ左折,そしてヴォーリズ・レーンへ抜ける途中。ヴォーリズとは,明治の建築家で近江兄弟社を創業した,あのヴォーリズです*1

反対側の旧軽井沢商店街からは,並行するショー通りから,この犀星の径がはじまります。

昭和初期,ここは名士の別荘街

横に別の看板があるとおり,室生犀星記念館の向かいには,カフェ・涼の音があります。その建物は旧軽井沢ハウスで,同時期の1927年に建てられた登録有形文化財です。

そちらは,松方正義元首相の孫娘・松方ハルの別荘でした。後に駐日アメリカ大使となったライシャワーの夫人,ハル・松方・ライシャワーです。昭和初期,ここは日本の名士の別荘街だったわけです。

軽井沢・室生犀星記念館に続く「犀星の径」

夏の軽井沢,木漏れ日が織りなす影が,ゆらめきます。ほどなく,青いプレートが見えてきます。

軽井沢町軽井沢1133(当時)

入口には,軽井沢町が認定するブルー・プラーク(blue plaque)の銘板がかかります。イギリスにならって,歴史的意義のある建物に,プレートをつける仕組み。こちらは,ハウスNo.1133,昭和6年(1931年)建築,室生犀星旧居です。

室生犀星の旧居である軽井沢室生犀星記念館の銘板(1931年昭和6年の建築)

中へ入ると,先ほどの路地とは打って変わった,幽玄の庵です。

軽井沢の別荘街では珍しい日本建築と庭園

銘板の通り,軽井沢の別荘街では,他にない日本家屋と庭園。

軽井沢町の室生犀星旧居・室生犀星記念館(母屋)

濡れ縁が庭と接していて,障子を開ければ一続きの景観にひたれそうです。この数寄屋造りと庭は,客人用の離れで,堀辰雄らが滞在しています。

犀星が暮らしていた母屋はこちら。

軽井沢町の室生犀星旧居・室生犀星記念館(離れ)

建物内に入れないのは残念ですが,要所に飾られる犀星の写真が,往時を偲ばせます。

きりふかき しなののくにに こほろぎの…

犀星の写真を奥に,軽井沢町の案内を。

室生犀星旧居にある軽井沢町の銘文

軽井沢での萩原朔太郎,芥川龍之介,堀辰雄らとの交流が,この家を建てたときの短歌で結ばれています。それは,犀星が堀辰雄に宛てた手紙にあり,前出の全集別巻2に収められています。

拝啓

きりふかきしなののくににこほろぎのあそばむ庭をわれはつくらむ

(後略)

七月十六日 室生犀

堀辰雄樣

注、こほろぎとはうちのこどもらのこと也。

手紙なのに,わざわざ注を付けています。この日記には,庭の「こほろぎ」の成長が,連日登場するほどの寵愛なのです。

庭を日本の美の頂点とみた犀星

築山に見事な苔,犀星が庭を大切にした証しです。 

軽井沢の室生犀星記念館(室生犀星旧居)にある,見事な苔の庭

軽井沢の洋館の並びにこれを整えるのは,相当の思い入れ。その考えは著作にあります。

純日本的な美しさの最も高いものは庭である。庭にはその知恵をうずめ、教養を匿して上に土を置いて誰にもわからぬようにしている。遠州や夢窓国師なぞは庭の学者であった。そうでない名もない庭作りの市井人が刻苦して作ったような庭に、匿された教養がある。

室生犀星,「日本の庭」,1943年

たしかに,日本にしかない美観の一つが,日本庭園と建築です。一見,自然のままのようでいて,築山,苔,石,濡れ縁,借景,それらすべてが人知によるものです。そこに,自然にもっとも近いアートの楽しみがあります。

造園とその観賞の論評も残している

犀星の庭作りは,金沢では,天徳院から土地を借りて自作していたほど*2。しかも,庭に関する評論も残しています。

庭をつくる人」には,つくばいや石,苔,竹などの論評があり,「名園の落水」には,松風閣庭園(金沢市本多町)を評価する一方,当時から日本三名園と称された兼六園の俗化を嘆く一節があります。

この葉が色づく時期に,また訪れたいものです。ただし,高原の軽井沢だけに,2019年の開館は11月4日までです。

後は,聖地巡りとしましょうか。

堀辰雄や芥川龍之介と万平ホテルでお茶

犀星の日記では,別荘ができるまで定宿だったつるや旅館のほか,万平ホテル,今はなき軽井沢ホテルなどで,食事やお茶をするのが記されています。たとえば…

大正十四年八月二十日

午後四時、六十九度なり。

マンペイホテルにて堀君と茶をのむ。木々のゆらげるに日の光さしそひ、うたた秋の半ばなり。

69度とは69°Fのことで,摂氏なら20.6°C。堀君とはもちろん,堀辰雄です。

万平ホテルは,この別荘から徒歩5分のところ。また,つるやに泊まっていた時代から,犀星は万平ホテルで,芥川龍之介らと食事やお茶をしています。

そこになぜか金箔モカロール

室生犀星が堀辰雄や芥川龍之介らと通ったように,万平ホテルには,昼も利用できるレストランやカフェがあります。

カフェテラスでは,なぜか金箔モカロールなる品を発見。後学のため,頼んでみます。

万平ホテルの金箔モカロール

金箔が映えるこの一品,ひがし茶屋街か,というような写真ですが,軽井沢です。日本の金箔の99%は金沢でつくられるので,金沢は基本,金箔推し。金箔の品を見ると,気になります。

モカロールケーキに金箔のあしらい,その上に,マカロンでサンドしたアイスクリーム。添えられるのは,ベリーの赤ワイン煮とキャラメリゼされたくるみです。軽井沢の陽射しが,それぞれを輝かせます。

そして,ここだけのテイストは,室生犀星が堀辰雄や芥川龍之介らと話をしていた「聖地」であることです。

その先の金沢へ

別件を一つこなし,乗る新幹線は再び金沢行き。

軽井沢から金沢への北陸新幹線はくたか号

金沢着は18時24分。この時間に軽井沢を出ても,夜,金沢でおいしい鮨などが食べられます。

ただし,軽井沢から金沢への直通は,1140発から1632発まで,ありません。その間は長野駅で乗り換えです。

生誕地にある金沢の記念館

翌日の金沢。その生誕地・千日町には,この室生犀星記念館があります。

室生犀星記念館

館内の自筆原稿などの展示品は撮影禁止なので,このオブジェを。

室生犀星記念館にある初版本の展示

犀星が好んだ杏の木の後ろに,著作の初版本の表紙が年代順に積み上げられます。不規則な空白は,戦争をはさむ世情と創作の波でしょうか。

19歳まで暮らした雨宝院は繁華街片町の対岸

記念館からすぐのところには,犀星が19歳まで暮らした雨宝院があります。7歳で,この寺の住職の養子となってからです。

後ろは犀川大橋で,ここはそのたもと。本名・照道に対して,筆名・犀星は,この犀川にちなんだものです。

室生犀星が幼少期に暮らした雨宝院(金沢市千日町)

この寺では,犀川で汲んだ水で茶を点て,庭と犀川を眺めた日々が,代表作である「性に目覚める頃」にあります*3

対岸は,昔も今も金沢の歓楽街・片町。そして,花街・にし茶屋街もすぐ。彼岸の喧噪が犀川を隔てて伝わる寺の庭には,特別な思いが生まれそうです。

東京-金沢の交通費+2580円で軽井沢に寄れる

ところで,なぜこのブログで,軽井沢を旅しているのでしょうか。

それは,東京ー金沢の片道の新幹線プラス2580円で,軽井沢に寄り道できるからです。ふつうに東京から軽井沢往復なら,割引きっぷでも8260円。つまり,金沢に行く機会があれば,軽井沢はその途中で寄る方が,安いのです。

東京→金沢直行と
軽井沢で途中下車の比較(通常期・円)
きっぷ
の種類
乗車券 特急券 合計
区間 運賃 区間 料金
通常 東京都区内→金沢 7340 東京→金沢 6780 14120
軽井沢
途中下車
東京都区内→金沢 7340 東京→軽井沢 3320 16700
軽井沢→金沢 6040
eきっぷ*4 東京都区内→金沢 7340 東京→金沢 6140 13480
eきっぷ
軽井沢途中下車
東京都区内→金沢 7340 東京→軽井沢 2660 15600
軽井沢→金沢 5520
通常 東京山手線内→軽井沢 2590 東京→軽井沢 3320 5910
お先に
トクだ値
*5
東京山手線内→軽井沢
発売は原則13日前の午前1時40分まで*6
トクだ値30
4130

そうなる理由は,東京都区内から金沢の乗車券は,軽井沢で途中下車できること。乗る新幹線ごとに買うのは,特急券だけです。この乗車券は4日間有効なので,軽井沢では3泊までできます。

なお,乗車券を通しで買うと,乗車券がセットされた割引きっぷ(トクだ値など)は使えません。この区間の特急券だけの割引としては,J-WESTカード会員専用のeきっぷがあって,当日まで買えます*7。すると,通しの乗車券と合わせて15600円で,これが最安です。

東京から金沢に行く途中(または,その逆)で,軽井沢で降りるのは,大人の道草なのです。

軽井沢には新幹線駅前唯一のアウトレットも

軽井沢駅南口すぐには,よく知られた軽井沢・プリンスショッピングプラザもあって,アウトレット価格のものもあるインポート・ブランドが並びます。

考えてみると,新幹線の駅前のアウトレットは日本でここだけ。追加の2580円よりも,得をするかもしれません。それはまたの記事としましょう。

*1:ヴォーリズは,明治時代に日本に多くの洋館を残した建築家ですが,メンソレータム(当時)の輸入販売で成長した近江兄弟社の創業者でもあります。
 ヴォーリズ自身は,本拠を滋賀県近江八幡市に置きながら,軽井沢にも建築の事務所を構え,自身の別荘ほか,数々の別荘などの建築を手がけました。
 ヴォーリズ・レーンは,それらに続く通りです。ただし,現存する建築はわずかになっています。

*2:室生犀星が金沢市小立野の天徳院の隣地で自ら作り込んだ庭は,惜しいことに,現存しません。
 終の住処となった東京・馬込の自宅にも,より大きな自作の庭がありましたが,こちらも現存しません。
 となると,犀星が手がけた庭で現存するのは,軽井沢のこの別荘だけということになります。その経緯は,市川秀和,「室生犀星の"終の住まいと庭"」,日本庭園学会誌,17号,2007が参考になります。

*3:ただし,当時に比べると,犀川の護岸は改修され,雨宝院の庭は縮小。雨宝院の庭と犀川は,見通せなくなっています。

*4:eきっぷとは,J-WESTカード会員専用の,特急券だけを割引くきっぷです。当日まで購入と変更ができ,東京や軽井沢を含む北陸新幹線全駅で発券できます。

*5:お先にトクだ値は,早期購入を条件とした割引きっぷで,席数限定,変更に制限付で発売されます。購入はえきねっとから。
 発売期間と割引率が異なるタイプがあって,早期購入型では,(メンテ時を除き)13日前の午前1時40分までの購入で,約30%割引のお先にトクだ値30,約35%割引のお先にトクだ値35があります。ほぼ前日まで購入型では,(メンテ時を除き)当日午前1時40分までの購入で10%割引となるトクだ値があります。東京から軽井沢への行き帰りに都合のよい時間帯は,ほとんどがトクだ値30の設定です。
 変更は同じ割引率のトクだ値に空席があればできますが,それ以外のものへは差額が必要です。それらが完売の場合や発売時期が終わった場合は,正規料金との差額が必要です。

*6:えきねっとのメンテナンス時は,お先にトクだ値の購入期限は,14日前の23時40分までとなります。

*7:北陸・山陽・九州新幹線でeきっぷが買えるJ-WESTカードのベーシックタイプは,初年度年会費無料。年間でショッピング利用(鉄道以外でも可)が1回でもあれば,翌年の年会費が無料です。つまり,使うなら,実質的な年会費負担はありません。
 なお,東海道新幹線も乗るなら,J-WESTカードのエクスプレスタイプにすると,東海道にも割引が効きます。すると,東京ー名古屋・京都・新大阪などを年間に1往復するだけで,年会費を上回る割引が得られます。