北陸新幹線で行く,はじめての金沢

お庭,お菓子,お魚,お酒が揃う城下町をまわるため,金沢出身・東京在住者が往復しながらヒントを書いていきます。

金沢の観光地入場者数ランキング,兼六園・金沢城・21美のトップ3は200万人台へ増加

2016年3月末に昨年分の金沢市の観光調査報告書が公表され,2015年1~12月の観光施設の入場者数がまとめられました。新幹線開業前を2か月半含んでいますが,変化の傾向がわかり,観光スポットを選ぶ参考にもなります。それを20位まで抜粋したのが下の表です。

金沢の観光施設の入場者数ランキング(人/年)
順位 施設 2014年 2015年
1 兼六園 1,969,694 2,887,894
2 金沢城公園 1,240,573 2,261,766
3 金沢21世紀美術館 1,678,513 2,213,780
4 石川県立美術館 411,707 444,309
5 妙立寺(忍者寺) 141,205 252,305
6 武家屋敷跡野村家 116,845 227,118
7 四高記念文化交流館 162,857 183,617
8 志摩(ひがし茶屋街) 85,399 159,127
9 県立歴史博物館 改装休館 157,575
10 県立伝統産業工芸館 107,859 118,948
11 成巽閣 59,623 112,256
12 足軽資料館 46,469 81,250
13 西茶屋資料館 37,036 66,549
14 鈴木大拙館 32,593 58,875
15 老舗記念館 35,979 49,790
16 県立能楽堂 50,728 48,262
17 天徳院 13,215 40,456
18 からくり記念館 32,680 38,444
19 金沢能楽美術館 29,545 37,173
20 安江金箔工芸館 23,920 33,300

出典:金沢市経済局,『金沢市観光調査結果報告書(平成27年)』,2016年3月
注意:この調査では客数が把握できない箇所に,街としてのひがし主計町かずえまち・にし茶屋街,長町武家屋敷,尾山神社近江町市場などがあります。調査できれば上位です。

やはり,兼六園がトップで,さらに90万人の伸び。隣接する金沢城公園は2位ですが,伸び率はさらに高く,82.3%と急増です。3位の21世紀美術館も順調に増加で,ここまでのトップ3は,いずれも年間200万人超となりました。

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写真は兼六園で,霞ヶ池を通して眺める唐崎の松。縦よりも横が長く,池に張り出して水面のわずか上(写真右方向)に長く枝を這わせてます。

近江町市場は,1日の通行量調査から推測すると4位相当か

観光客も多い近江町市場やひがし・主計町・にし茶屋街は,客数を全数把握できる場所がなく,年間集計はありません。

随時,通行量調査などが実施されているようですが,継続して公表されているのは,他の大通りや商店街とあわせて近江町市場のみです。その中で最多のポイントの推移は下の表の通り。

近江町市場の通行量最多地点と通行者数*1
通行者数/日 2013年10月 2015年10月
平日(エムザぐち 4915 7445
休日(よこい青果前) 4072 14313

出典:金沢市,『金沢市歩行者通行量調査報告書(平成27年)』,2016年1月

休日の3倍増に驚きます。地元客を含んでいますが,片方向としても平日に3722人,休日に7156人が通過。季節変動を無視すれば,年間170万人は堅そうで,21美の次に集客力のある場所です。

面白いのは,平日の最多通行量は大通りのいちば館前バス停側・エムザ口なのに,休日は市場奥のよこい青果前と変動する点。理由は,観光客向けの海鮮丼等の飲食店や駐車場が,その奥に位置するからでしょう。

兼六園より金沢城公園の伸び率が大

金沢城の風景で定番といえる,重要文化財・石川門。

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以前はここまでだったのが,城内にあった金沢大学移転後に,遠大な復元整備が進行中。菱櫓,五十間長屋,河北門,橋爪門などときて,2015年3月に玉泉院丸庭園が完成しました。いずれも,史料にもとづいた木造が基本です。それは当たっていて,観るところが増えるにつれ,観光客は伸びています。

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その他に,兼六園より伸びが大きな理由として考えられるのは,入園は無料で,上のように付加価値のある施設ごとに料金が必要な仕組み。写真はお茶室の玉泉庵です。SNS時代には,写真が自由に撮れるほど,関心のある次の入園者に広まりやすいため,無料エリアがあることは重要そうです。

この金沢城の築城には,当時の藩主・前田利家に預けられ,国外追放となる年まで26年間金沢に住んでいたキリシタン大名・高山右近が,指導にあたりました。2015年に,ローマ法王から日本人単独でははじめての福者に認定されたことで,その業績の1つとして再認識されるでしょう。住んでいたのが,3位の21世紀美術館の位置というのも奇遇です。

21美も3割増で,ここまで年間200万人台

21世紀美術館も,当初所蔵品がないところから新設された,地方の美術館としては,特異な伸びを続けています。天地ガラス張り円形の開放的な外観と,無料エリアを通り抜けられる構造。さらに,SNSで楽しめる,撮影可能な展示が多いことなども,効果をあげていると思います。

その点では,収蔵と保存に重点を置く旧来の美術館とは比較できないジャンル。

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兼六園と同じくらいの入場者数ですが,屋内に人が集まる分,金沢でもっとも混むスポットです。その回り方のヒントは,別記事にしました。

なお,21美の共同設計者の一人,妹島和世氏が,西武鉄道の新型特急電車を設計することになったのは,今後の話題になりそうです。西武側のプレスリリースでも,21美を代表作とされています。

時間に応じて楽しめる集積度

兼六園・金沢城・21美は,金沢駅からのバスも数分に1本で,着いたら3つを徒歩で回れる範囲。金沢駅兼六園口6,7番乗り場の(ごく一部の柳橋行を除く)すべてのバスで,兼六園下か広坂で降りれば到着。時間と好みに応じて,その場で先を考えられるのも,この3つに人が集まる理由でしょう。よくある「3時間観光」なら,このうち好きなものを観て,残り時間に周辺でお茶するのが簡単です。

4位の県立美術館には仁清の香炉(国宝)

21美が現代美術の企画展に力を入れるのに対し,県立美術館の常設展示は,古美術に特徴があります。加賀藩のもとで興隆した九谷焼などの陶磁器と,蒔絵・沈金に特徴のある漆器などの工芸品が主力。

常設展示の頂点は,国宝の野々村仁清作・色絵雉香炉。江戸時代初期に京都の仁和寺前に窯があった仁清の作品が,加賀藩前田家伝来で残っています。

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雉香炉は雌雄が揃っていて,左が重要文化財の色絵雌雉香炉,右が雄で国宝の色絵雉香炉と,ここにしかない並び。展示室は撮影不可のものがほとんどの中,この展示室は撮影可能なのも,ありがたいところです。

カフェと刀剣乱舞人気も

観光向けに特筆できるのは,カフェの集客力。隣が兼六園で,カフェだけの利用も,列ができるほどに見かけます。

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加えて,とくに若い女性に人気のオンラインゲーム「刀剣乱舞」ファンの来館も新しい現象。加賀藩主・前田家の所蔵品を継承する前田育徳会から寄託された品の展示室があり,刀剣や甲冑,茶道具などが,企画展で展示されるからです。

2015年は,天下五剣の1つ,大典太(国宝)と富田江(国宝)が展示されたことが寄与。2016年は,前田藤四郎の短刀(重要文化財)が5月19日から7月18日まで公開されるため,遠方からもファンの来訪が期待されます。

伸び率が高いのは,他にない施設

このほか入場者数の伸びで目立つのは,忍者寺78.7%増,野村家94.4%増,志摩86.3%増,成巽閣88.3%増,天徳院206.1%増です。思いつく共通点は,小さいながらも金沢独特の観光資源であること。他にないものほど,伸びしろがあったようです。

妙立寺みょうりゅうじ(忍者寺)

歴代の加賀藩主が参詣していた特別なお寺で,江戸時代の建築を残しています。他にない特徴は,隠し戸や隠し階段,落とし穴があること。藩主などの来訪時に外敵から防御しつつ,身を隠すためといわれます。忍者寺というのは,これら仕掛けをとらえた通称で,忍者がいたわけではありません。

電話予約制(ただし当日予約枠あり)で,内部が撮影禁止なのは,SNS時代には不利です。それで,写真が撮れるのはここまで。

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それでも観光客が急増しているのは,他の寺にはない仕掛けがある理由が,今一つ謎だからかも。謎解き的な関心が,かえって人を集めるお寺さんです。

藩主の参詣と防御の機能から,よく言われるのが出城説ですが,やや無理がある立地と構造とも思えます*2。栗本慎一郎氏が若い頃書いていた仮説のように,参詣を名目にした密会の場所説が自然と思われます*3

ただし相手は,栗本説のようなロマンスではなく,諜報活動での情報提供者などと考えると,しっくりきます。なぜ城内でなく寺が選ばれ,そこが狙われる危険があり,防御や逃亡の仕掛けが必要だったかです。証拠はなく個人的な解釈ですが,仕掛けの実物とともに,その推理を楽しむ場所です。

武家屋敷跡 野村家

長町の武家屋敷跡のうち,内部を観覧できるものです。当時の建築のままではなく,後で手が加えられたものですが,日本庭園を評価する米国の専門雑誌のShiosai Rankingで,2015年は18位,2016年は13位。それで外国人比率は高めです。このランキングは,日本建築と日本庭園の組み合わせを高く評価する傾向で,このような屋敷の鯉の泳ぐ庭に張り出した縁側が受けているようです。

その縁側は,Googleインドアビューで見られます。個人の撮影では難しい,お客さんが入らずに庭を見通せる風景です。

欧米の家と庭には,はっきりとした境があるのが当然。その感覚からすると,池を足下まで取り込んだ庭をつくれる日本建築と日本庭園の意匠は,珍しがられるのでしょう。

志摩(ひがし茶屋街)

芸妓さんのいたお茶屋を,当時の建物のまま残しているもので,重要文化財指定。

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艶を醸し出す朱色の内壁は,江戸時代から金沢のお茶屋さんに独特。さらに特別な群青色と並んで,料亭などにも受け継がれています。

重要文化財指定では保存が求められ,芸妓さんを置くお茶屋営業は難しいため,奥にお抹茶かお煎茶と和菓子の席をもうけたお店に改めています。

そのお茶席は,保存の制約のない続きの棟で,掘りごたつ形状のカウンター。

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当時の情緒を保ちつつ,昼にふらりと入れるお店に切り替えたのが奏功しています。また,内部が(交換レンズがないコンデジやスマホで動画以外なら)撮影可能なのも,お客さんがじわりと増えている理由でしょう。

成巽閣せいそんかく

兼六園に隣接して幕末に完成した,加賀藩主前田家の奥方御殿。つまり,当地のファーストレディの別邸で,正確には母親に対しての造成。この規模の現存例は全国でも他になく,それで重要文化財です。

加賀藩前田家の奥方御殿・成巽閣(Seisonkaku, the villa of the first lady)

金沢で,城の外に残る江戸時代のお屋敷の中でも,当然こちらが最大。長町の武家屋敷や大手町の寺島蔵人邸にある武家の質実な庭とはまた違う,女性好みの優美な庭が観賞できます。それでいて,万一に備える武者隠しがあるのが,要人の証し。

惜しいのは,建物内部や江戸時代に蓄えられた展示品が撮影禁止であること。庭は撮影できるために,写真はこのあたりが限界で,SNS的には不利です。それでも,末広がりに整えられた松、苔むした灯籠,つくばいの配置を,1枚にまとめたきれいな絵が撮れます。これも,てこの原理で支えられた,横に約20mも柱のないひさしのおかげです。

外国人向けにまだ伸びしろがあると思うのは,兼六園からも入口があって,門の前をとくに欧米系の外国人が大勢歩いているのに,中にはあまり入らないところ。長町武家屋敷跡の野村家では,Samurai houseという簡潔な説明で,欧米系の観光客が大勢訪れています。こちらの説明では,正確さのために固有名詞が多く,誰の屋敷で何があるのか伝わりにくいからかも。彼らの国で想像しやすいように,The villa of the first ladyと説明すれば,その価値に気付く人も増えそうです。

天徳院

加賀藩三代藩主前田利常の正室・珠姫の菩提寺です。

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珠姫は徳川家康の内孫で,徳川秀忠の次女,家光の姉にあたる方。正室に迎えられたのが3歳で,江戸から金沢へ。といっても徳川家からですから,不自由のないよう約300人のお供を連れてきて,現在の兼六園・桂坂口の茶店が続くあたりに,江戸町を作って住まわせたという規模です。

14歳で第1子を出産,以降三男五女をもうけましたが,23歳で病気のためお亡くなりになりました。この壮絶な生涯にこたえるため,菩提寺を建立し,丁重に弔ったのがこちらです。もともとこの婚姻は,徳川家康が仕組んだともいわれる「前田家の謀反の疑義」を晴らすための条件の一つ(慶長の危機)。この関係なくしては,加賀藩は潰されていたかも知れず,当時からのお庭に,さまざまな思いを抱く場所です。

このほかの施設などで気がついたことは,随時追記していきます。

*1:中学生以上の通行者の双方向の合計で,自転車も含む。よこい青果前は,2年ごとの大規模調査年だけ調査対象のため,2年前と比較。

*2:福井・米原へ続く北国街道沿いですが,出城ならば,犀川にかかる唯一の橋だった犀川大橋詰が理想的。現在地では,迂回してこの大橋まで回り込めそうです。また,境内はほぼ平地で,高い石垣や石段もなく,戦国時代の重要な寺が経験した焼き討ちには対応が困難です。

*3:栗本慎一郎,『都市は,発狂する。』,光文社,1983